第一席寸評抄


朝日新聞  岡山俳壇選評   大倉白帆 

1 立春(2月4日)から春です。立春が過ぎても寒い日は多いですが、その様子を余寒とか春寒しという春の季語で表します。2月中は寒いから冬じゃないの、と思っている人が多いのですが、寒くても日照時間は延び、日差しは春になっています。その気になって見ると、街路樹も山野もはや芽吹きをはじめています。歳時記をみて、2月は春の句をつくりましょう。            白帆

      *俳句は季節感を大事にします。季節がずれた場合、その他の事情などで掲載時期が遅れることがあります。ご諒承ください。        



2 最近~2017年                

         紙上掲載作品

 *目下書き足し中。


  1  直近の第一席

ピザを待つ親子に丸い冬の月          (岡 山) 三好ゆみこ   令8・2・8・掲載           ピザを待つ親子を照らしている月。 まるでアニメの一場面のような鮮やかな景。 寒い夜なのに、こんなにあたたかいお月様は、これまで見たことがない。


陽の力じつくりためる冬田かな         (鏡 野) 原 洋一    令8・2・1・掲載           凍てつく冬の田。 春の訪れを待つだけかと思っていたら、寒中の陽光をじっくり溜め込んでいるというのである。 大自然の力を感じさせる句である。


寒菖蒲(かんあやめ)心の向きを問い直す       (津 山) 坂手 具世   令8・1・25 掲載            自分は何を目指しているのか。 本当にこれでよかったのだろうかと、自らに問うている作者。 寒菖蒲のイメージから清楚な心うちが伝わってくる。


ながながと夫宣(のたも)うてくさめかな       (岡 山) 竹林 貞子   令8・1・18・掲載           無関心な妻を相手に、得意げに持論を展開している内に寒気を催した。 宣うての一語で家庭の状況がユモラスに浮かび上がる。 くさめはクシャミの事。


初電車もうすぐ海の見えてくる        (岡 山) 石破ますみ   令8・1・11 掲載          新年の期待と希望を乗せて、電車は海へとまっしぐら。 旧年のしがらみから、日常の喧噪からどんどん私を引き離してゆく。 そしてもうすぐ海が見えてくる。


畳間のパントマイムの冬木影         (岡 山) ひらの ゆう   令7・12・28 掲載         裸木となって寒風に弄(もてあそ)ばれている冬の木立。 その影が日差しを浴びた畳の上でパントマイムを始めている。 風が強ければ強いほどリズミカルに。


父からの便りのやうな朴落葉        (美 作) 駿河 亜希    令7・12・21 掲載           落ちてきた朴の葉からいきなり父を連想。 枯れ色になった大きな葉っぱ。 筆者は母から何通も封書をもらった。 父からは日焼けしたはがき一枚のみだった。


水鳥や山さび色に鎮もれり             (美 咲) 川上 京子     令7・12・14掲載          水鳥は鴨・雁など水に浮く冬鳥の総称。 その鳥が冬枯れの景に生命を吹き込んだ。 またかな書きのさび(寂び)から色彩的な余情が感じられる。


銀杏散る耳はラジオの英会話           (和 気) 今田 結月    令7・12・7掲載         英会話を聴いているときは全神経を耳に集中と思いきや、視線はきっちり銀杏を追っている。 受験生ではなく、文化的な暮らしのひとこまというところ。


塗りたての屋根の上行く秋の雲 (岡 山) 大智 靖子 令7・11・30掲載 澄み切った青空に刷毛で描いたような白い雲。 塗りたての屋根との対比が鮮やか。 ちょっと危うい二者の取り合わせに、作者の茶目っ気な視線が感じられる。


選択の結果今ありとろろ汁 (倉 敷) 岡本 保良 令7・11・23掲載 誰にも節目や岐路があり、その都度決断・選択をしてきた。 今とろろ汁を味わっているのがその結果。 確かに人生はこのような断片の積み重ねであろう。


干し柿や朝な夕なの陽の恵み (里 庄) 重森 順恭 7・11・16掲載 朝な夕なとは終日のことだが、朝も夕もと区切ったところに朝は朝なり夕は夕なりの、適度な日差しという意味合いがこめられている。 干し柿の熟成はそれらの日の恵みによるのである。


 


                       連翹(れんぎょう)の道




1  最 近 ← 8前から



空港の展望デッキ螇蚸(ばった)飛ぶ          (倉 敷) 守谷 妙子  7・11・9掲載         飛行機を見る展望デッキ。そこで同じ飛ぶものでも螇蚸を登場させたのが異色。螇蚸によって空港の風景やローカル性などがほのぼのと浮かび上がってくる。


独り居につくつくぼうしせまりくる  (瀬戸内) 山﨑 典子 令7・11・2掲載   「独り居」には女の心細い暮らしぶりという含みがある。つくつくぼうしは秋の訪れを告げる親しい虫だが、独特の連続音に迫り来ると感じた作者。鳴き声があわれなどと言っている場合ではなくなった。


(びん)の口吹けば鳴るなり秋山河          (岡 山) ひらの ゆう   令7・10・26掲載               子供の頃は棚板から壜まで楽器代わり。戯れに吹いてみれば懐かしい故郷の山河がよみがえったのだ。小皿叩いてチャンチキおけさの世代は壜の口も吹いた。


菰巻いて人間くさき松の群    (岡 山) 石破ますみ 令7・10・19掲     岡山後楽園の松の菰巻(こもまき)は秋の風物詩。園路近く並んで巻かれた姿に、人間臭ささを感じるとはと思ったが、だんだんそんなふうに見えてきた。



終戦日バッグの中で着信音     (倉 敷) 渡邊 香 令7・10・12掲載     季語とあとの内容が離れ過ぎでよく分からないという向きも。だがこのくらい離してもよいのである。この離し具合から、昔日の感が引き出されるのである。



熱つあつのソース吸ひこむ鰺フライ     (岡 山) 柴田 征子 令7・10・5掲載     揚げたての鰺フライ。熱々の衣(ころも)はもちろんパリパリの黄金色。近頃ハイカラなソースが幅を利かせているようだが、やっぱりあの濃い口ソースですよ。


代田道暫しここらは空ばかり      (岡 山) 安井 節夫  令7・9・28掲載               どの田も水を張り、里一面が梅雨前期の明るい曇り空と、その空を映した代田で眩しい。そして早苗が風に靡き始める風景ほど、清々しいものはない。


かなかなを聴きつつ麓の犬老いぬ (岡 山) 難波 鈴江  令7・9・21掲載      縁あってこの山麓に住みつき、今年もまたかなかなの音(ね)に耳を傾けている老犬……。犬への思いやりが伝わってくるが、それは自らに向けた感慨でもあろう。


豆腐屋の白い長靴朝曇    (岡 山) 藤山えいこ 令7・9・14掲載    子供の頃にはどの町にも豆腐屋があった。「旱(ひでり)の朝曇(あさぐもり)」と言って、真夏の朝のどん曇りは午後炎天の兆しと言われた。白い豆腐がうれしい時節である。


ミニカーのぽつんと残る夏座敷      (鏡 野) 西村なほみ 令7・9・14掲載   ぽつんと残るミニカーから、賑やかだった盆の様子 と現在の静寂が伝わってくる。簀戸(すど)や簾(すだれ)などで涼しげにしつらえた和室の広さがぼんやりと浮かぶ。


侘寂(わびさび)のホタルブクロの一軒家  (岡 山) 竹林 貞子  令7・8・31掲載   半日影(ひかげ)の地に俯(うつむ)いて咲く蛍袋。侘寂についての説明は簡単ではないが、蛍袋が咲き乱れる山影の一軒家は、たしかにそのような情趣を湛(たた)えている。


お喋りはエンドレスなりアマリリス   (鏡 野) 中谷 淳子   令7・8・24掲載     アマリリスから快活な女性同士だと分かる。エンドレスの一語がユーモラスで、「り」の連続によって話の展開がリズミカルに伝わってくる。


梅雨めくや雲垂れ込める汽水域         (倉 敷) 守谷 妙子  令7・8・3掲載       海に注ぎこむ河口一帯は、いつも変わらぬ風景である。そこに季節の変わり目を告げる現象が…。雄大な汽水域全域を、梅雨の黒雲が刻々と包んでゆく。


冷や麦に縁(えにし)の糸のごとき赤      (岡 山) 三好 泥子  7・7・27掲載      索麺(そうめん)と区別をつけるため、冷や麦には数本の色つきがあるそうだ。その赤い一本を運命の赤い糸と捉えたところが、この句のおいしいところ。 


珈琲はエルサルバドル桐の花        (赤 磐) 枡田つやこ     令7・7・13掲載        中米の小国エルサルバドル。高地栽培の珈琲は酸味がマイルドで後味がスッキリとか。そこに忽然(こつぜん)と古典的風情を帯びた桐の花が付けられた。 そのとたん、また別の気高い香りが漂よい始めた。



(つる)バラの門潜るたび若返る  (玉 野) 木村 雅子  令7・6・掲載  バラをからませた門。通行人にも楽しみな季節である。まして咲かせた本人は日に何度も出たり入ったり。若返るという気持ち、分かります。


人違ひされるもご縁星祭            (岡 山) 曽根ゆうこ   令7・6・29掲載         ご縁と言うところ、表向きは別として内心まんざらでもないご様子。きっといい男だったのだろう。星祭ならではのちょっと愉(たの)しい人違い。


力まずに余生送らむ捩り花           (岡 山) 和田 大義     令7・6・22掲載       細い茎に巻きついて咲き上がる捩り花。その格好に自分の生き様が重なったのかも知れない。穏やかに、と時々思いながら暮らせばよい結果を得るだろう。



新緑を見てはミシンの糸通す         (岡 山) 中村 杏子  令7・6・15掲載           ほつれた糸先に唾をつけて針穴に―。子供の頃誰もが覚えのある針仕事。さて時々庭に目をやりながらミシンの仕事中。新鮮なみどりが目に心地よい。


星空へカレーの匂ふ山の家             (岡 山) 国方 一航    令7・6・8掲載     山頂で見る星空の爽快感。その夜空へ夕食のカレーの匂いが吸い込まれてゆく。いわゆる季語はないが季感は夏。山小屋の灯りや歌声が聞こえてくる。


新じやがや若き嫁御は片笑窪           (倉 敷) 渡邉 進    令7・6・1掲載     じゃがいもには独特の凹みがある。春から初夏に出回る新じゃがは、丸く小ぶりでしかも色白。若いお嫁さんのチャーミングなえくぼが思い浮かんだ。


春月や英語講座をサボタージュ          (倉 敷) 中谷 眞理    令7・5・25掲載       ふらりと歩きたくなるような春の月夜。怠け心をお月さまにかこつけて欠席している。しかしサボるにしてもさすが受講生、サボタージュの一語がご立派。   


朧夜の月を間近に引返す      (倉 敷) 岡本 保良  令7・5・18掲載        朧夜にはおのずから艶な趣があり、まして月夜である。間近にしながらなぜ引き返したのか。そこを言わないところから、余情がもこもこと膨らんでくる。


花吹雪烏城の鯱(しゃち)の浮かれ立つ         (岡 山) 柴田 征子   令7・5・11掲載   天守閣が視界にある贅沢さ。御酒がすすみ花吹雪を浴びれば、うたを詠もうか一差し舞おうか、という気分にもなる。人が浮かれれば金の鯱(しゃちほこ)も浮かれ立つ。 


お彼岸の朝日達磨となりて出づ       (岡 山) 三好 泥子 令7・5・4掲載   光の屈折で、朝日の下半分が裾広がりになる現象が起きる。この形を達磨と見たところに、先祖供養のお彼岸ならではの有り難さとウイットが感じられる。


鳥帰る黄色い花の咲く頃を    (倉 敷) 秋岡 朝子  令7・4・27        鳥の帰る時期を調べたことがある。集団による出立の前後差があるが、決め手は飛び立つ日の気温・空模様。鳥曇りはその時期であり、花曇りでもあった。鳥たちは黄色い花に名残を惜しみながら北を目指したことだろう。


やはやはの鶯餅のどこ抓(つま)も         (岡 山) 柴田 征子  令7・4・20掲載    出来立てほやほやの鶯餅、柔らかさが目に見える。食べ物は美味しいと決まっているので、美味しいと言ってはいけない。どこ抓(つま)も、でよいのである。


花ミモザかきたま掬(すく)ふちりれんげ    (倉 敷) 渡邊 香  令7・4・13掲載      季語の花ミモザによって、ごく普通の家の食卓が瀟洒(しょうしや)なおうちのランチ風景に一変した。掻玉(かきたま)を掬う純白のレンゲに、春の日差しがやさしく注ぐ。


春風に鼻腔(びこう)大きな鬼瓦               (赤 磐) 津田 卿雲    令7・4・6掲載      強面(こわおもて)の、鼻が売りの鬼瓦だけにユーモラスに感じられる。春風駘蕩(しゅんぷう・たいとう)とは一見難しい言葉だが、この句の状態だと言えば、何となく分かるのではないか。


電灯の紐がつかめぬ春の宵        (倉 敷) 稲田マスミ  令7・3・30掲載         春宵一刻…寝てなど居れぬ春の宵。べつに行く所がある訳ではない。すっくと起き上がる春の闇。それにしてもじれったい、紐がなかなかつかめない。


手弁当ハムサンドとは春らしく       (岡 山) 和田 大義   令7・3・23掲載      弁当自前の奉仕活動か。こういう場合簡単・質素がお定まりだが、ハムサンドに感心しているところが微笑ましい。春ならではの心の機微が感じられる。


軒氷柱(のきつらら)上り下りの列車着く       (玉 野) 三好 一彦   令7・3・16載                小さな木造の無人駅だろうか。そこへ上り下りの列車が入ってくる。いっときの賑わいの後、列車が去ってゆくと再び氷柱だけの駅となるのである。


水涸れて暗渠の音の軽やかに   (倉 敷) 岡本 保良 令7・3・2掲載    地下に張り巡らされている暗渠(あんきょ)。雨水の少ない時期は内部の空間が多いから、流水音は大きく響くだろう。とは言えそれを聞き留めたのは作者の感性である。


アラジンのストーブ据えて方丈記   (倉 敷) 守谷 妙子 令7・2・23掲載    アラジンストーブを真ん中に据えて、ゆく河の流れは絶えずして――。方丈記が出現し、異文化掛け合せの効果か、不思議な空間が醸し出された。


素足にてやまとなでしこ寒稽古        (赤 磐) 津田 卿雲     令7・2・16掲載         大和撫子の持つ一面に繊細・か弱さがある。そして気高さ漂う女性がこの最も寒い時に素足で――。白装束に紫の襷(たすき)掛け、凜とした姿が目に浮かんでくる。


浅漬の大根を切る刃音かな           (岡 山) 大石 和昭    令7・2・9掲載      浅漬けは手軽に出来て生野菜より栄養価が高い?とか。包丁の音から、しゃきっとした大根や人物の仕草までが目に浮かび、切れ味のよい句となった。


ほろ酔いのほほえむ遺影十二月      (倉 敷) 小合かずえ  令7・2・2掲載     ほろ酔いの主は親か夫か……。お酒が回ると上機嫌になる方だったのだ。そして今年も一年間よくやったねと見つめていてくれる優しい人でもあった。


白黒のモダンタイムス紅葉散る    (玉 野)  三好 一彦  令 6・12・22            チャプリンのモダンタイムスは白黒(モノクロ)映画だった。艶(あで)やかな紅葉も当然白黒だが、観衆はたちまち燃える紅葉を連想した。…俳句鑑賞もこうありたい。


短日や立てて売らるる海老フライ  (岡 山) ひらの  ゆう    令 6・12・15             カラッと揚げ、油を切るために立てて並べる―、のかどうか筆者は知らない。見たこともない。日が短くなった暮れ方、理由を尋ねる人もいない。


初明りして島の影橋の影        (倉  敷)  梅田 光憲    令 7・1・12掲載  この年この世に差す初めての光を浴び、身も心も引き締まる。広がる海の、島や橋もその影によって際立ってゆく――、初明りならではの景観である。


正月や磨けば光る古道具       (備 前) 石谷 みち女  令7・1・19掲載  年が改まれば全てが一新する、と思いたいが実際には人も道具も年々古くなる。磨けば光るには救われるが、この古道具、我々のことかも…と、つい深読み。


物件の庭を横切る狸かな     (岡 山) 貝畑 信行   7・1・26掲載        多分この物件は中古住宅だろう。なかなか売れぬうちにまた冬になってしまったのである。庭を狸が横切るようになっては、はっきり言って売却は難しい。


(きざはし)を為す走り根や萩の花        (岡 山) 押目 光世    令 6・12・8掲載       階(きざはし)は堂塔へ通う石段。かつて栄えたその跡に古木の走り根が段状に延びている。そして往時を偲ばせるように萩の花が一面を装っていた。


住み慣れし木造平屋葉鶏頭        (岡 山) 中西 節子  令6・12・1掲載       住み慣れた我が家に、別れを告げる日が近づいているのだろうか。秋の深まりと共に色づいてくる葉鶏頭に、名残を惜しむ心情が読みとれる。


助手席に五等の醤油村祭り       (鏡 野)  原   洋一 令6・11・24掲載    五等の醤油から祭りの始終が伝わってくることに驚いた。助手席から帰りの疲労感も感じられ、作者を取り巻く地域の暮らしぶりなど、様々が思い浮かんでくる。


巻鬚(まきひげ)の音の出さうな烏瓜 (鏡 野)藤田 明子 令6・11・17掲載  うす緑に白い縞模様の烏瓜。蔓の先端をキュートな巻鬚と捉え、なおかつ音が出そうと音楽的な描写。ショパンの夜想曲など聞こえてきそうである。


小鳥来る庭に大樹のパン工房    (倉 敷) 守谷 妙子   令6・11・10掲載      庭に大樹のあるパン工房、つい何処だろうかと思った。この二つが揃えば小鳥も当然やって来るだろう。パンと大樹の結びつきから意外な展開が生まれた。


 誰からも遠きところの鯊日和      (岡 山) 中西 節子

誰からも遠きところという措辞が出色。(はぜ)がよく釣れて上々の天気。人間関係からしばし解き放たれた作者の、爽やかな心持ちが伝わってくる。……この作品は選者として最初の選評(平成27年12月2日掲載)であり、選者としても記念の一句


 風光る波打際の美術館    (津 山) 沢  紅子   風が光って見えるという感覚的な季語と、美術館の取合せ。そして波打際の措辞によって誰もが瀟洒(しょうしゃ) な景観を思い描き、そこへ行ってみたいと思うことだろう。


 霊峰のコップを弾く石清水     (岡 山) 柴田 征子   霊峰は麓へ良水を供給しているが、山中すでに岩清水となって噴く。コップを弾く清らかな水滴は、登山者のみに与えられた山の神からのご褒美である。


 吉備大路(おおじ)秋は静かに塔建てり     (岡 山) 和田 大義                  令6・11・3掲載    吉備路風土記の丘に、天平の景を重ねたような表現タッチ。秋の一字から豊かな落ち着きが伝わってくる。当時の吉備は文化の最先進地域だったのであろう。 


 シニアカー同士手渡すさくらんぼ    (鏡 野) 西村なほみ

電動車椅子また三輪・四輪と性能・種類も豊富になってきた高齢者用シニアカー。二台が落ち合いさくらんぼの受け渡し。微笑ましいやら羨(うらや)ましいやら。


 陸奥の夜長は何処も濡れてをり            (玉 野) 三好 一彦

 陸奥(みちのく)は東北地方を表す古称。夜長の濡れは極めて感覚的なものだが、いかにもしめやかな夜長が感じられる。朝露夜露、陸奥の冬は駆け足でやって来る。


 夏の果て足が勝手に足洗ふ              (備 前) 石谷みち女

夏の終り頃には夏バテにもなり疲労困憊。泥付きの足を手ではなく別の足が洗っているのだ。誰しも覚えがありながら、こんな句初めてお目にかかった。


 春時雨音無く廻る轆轤かな            (赤 磐) 津田 卿雲

音無く廻るという措辞は、轆轤(ろくろ)が勝手に廻っているような印象を与えるが、勿論廻しているのは陶工である。轆轤と一体となっている人間と、それをすっぽりと包み込む春時雨の情趣。


 秋澄むやバスケシューズのキュッと鳴き (岡 山) 曽根ゆうこ

路傍の水溜まりさえも澄み渡る秋。キュッの音から澄み切った空気感が伝わってくる。そして鳴くの措辞に青春の一種やるせない響きが感じられる。


 流灯のやうに尾灯は遠ざかる         (岡 山) 青山 憲之

流灯は先祖送りの盆行事。流灯(りゅうとう)と尾灯(びとう)の描写によって、盆の最終段階の場面を情緒豊かに表した。この尾灯は子達の帰りを見送る心に滲みる灯(あか)りである。



桜と紫荊(はなずおう)…紅白の対比が鮮やか――――岡山市北区中原――中原川公園2024・4・9




 東国に先んぜられし梅雨入(ついり)かな         (岡 山) 三好 泥子

政治経済から文化の発信まで東京に制されて久しい。この現状への不満が、梅雨入りに向けられたところが俳諧。そう言えば今年ちょっとだけ関東が早かったかも。


竹箒ゆふべの雪の軽きかな        (鏡 野) 藤田 明子

冬晴れの朝の玄関先を掃く軽快な竹箒の動き。ふわふわと降る雪にも随分重さの違いがあるそうだ。この雪は山脈を越えて風に乗ってきた新雪に違いない。


 溜め池にバス独唱の牛蛙      (赤 磐) 桝田 正治

「独唱」の措辞によって、溜め池は野外ステージとなり、蝶ネクタイを付けた牛蛙の姿を思い描かせた。そして重厚な低音が周辺の空気を震わせる――。


 花辣韮真青な空に手を伸ばし           (美 咲) 川上 京子

歳時記では辣韮(らっきよう)は夏で、食用の球根を指すが花は晩秋に咲く。その頃の澄み渡る空のもと、線香花火を空に向けたような、紫色の小花を放射状に咲かせる。花言葉はつつましきあなた。



 
バリバリと伸びる提灯秋祭
                                              (倉 敷) 梅田 光憲

祭提灯(ちょうちん)は輪状に組んだ竹ひごに和紙を貼付けて作る。バリバリ音が発するのは紙に油引きを施しているから。往時の提灯はみな威勢の好い音がした。


弓狭間より春灯(しゆんとう)のコード引く      (岡 山) 大森 哲也

弓狭間(ゆみはざま)に配線コード。これだけでライトアップされた城と桜の全貌が浮び上る。提灯・雪洞(ぼんぼり)が華やかさを演出するが、弓狭間がこんな所で役立つとは。


去年今年二人の東京物語                    (赤 磐) 桝田つやこ

小津安二郎の「東京物語」。その映画を知る二人が、半世紀を経て自分達の東京物語を体験した。季語の去年今年(こぞことし)には歳月の流れへの感慨が込められている。


ミモザ咲く島の生家が手放せず                   (玉 野)  木村 雅子

故郷は瀬戸の何島です、何々諸島です、という人は意外に多い。その多くの人の実情、心情が伝わってくる。門先のミモザの花が春到来を告げている頃。

 

鴨足草移住九年で地に馴染む      (津 山) 小松 富夫 

地に馴染むとは鴨足草(ゆきのした)が似合うほどの、落ち着いた佇(たたず)まいになってきたということか。 移住して九年という歳月が慎ましやかな小花に凝縮された。


自転車の空気入れ足す受験の子                     (早 島) 坪井 信幸   いよいよ試験会場に臨む朝、自転車の空気を入れ足す子の姿。充分な受験勉強が出来たかどうかは別にして、空気を足してしまえばもう為すべき事は無い。


                   遊行柳(ゆぎょう・やなぎ)
                                     芦野の里

             
水仙へ見渡すかぎり海の風   (倉 敷)平尾 澄江
海からの風に輝く、雄大な水仙郷が目に浮かぶ。可憐な水仙には、自力で生き抜くような健気(けなげ)さがある。清々しい香りの中、寒さを忘れてしまうひととき。

早朝の書斎に眠る水中花              (津 山) 森川 孤陋      

水中花は作り花のためか、ほとんどの句は競って生き生きと描く。ところがこの水中花は眠ったまま。開花の姿は読者の余情に任せているのである。


口語訳古事記手元に水草生ふ             (鏡 野) 髙原喜久子

春の岸辺や水面を彩る水草。季語の水草(みくさお)ふによって、我が国草創期の美称、豊葦原の瑞穂の国のイメージが呼び起こされる。国生み伝承に始まる古事記伝。口語訳なら読めそうな気がしてくる。


きびす上げ爪先立に冬近し          (岡 山) 谷  美津子

爪先立ちは遠くを見る時の動作だが、健康体操をしていたのかも。人間を含めあらゆる生物は、冬に入る前入念な準備をするが、体力はすべての根幹である。

未草開く露天の古火鉢              (岡 山)  三好 泥子           402回

意外にも本来の使用目的とは真逆の水鉢として、火鉢は生き残っていた。玄関脇などで可憐な未草(ひつじぐさ)(睡蓮(すいれん))が楽しめるのも、古火鉢のお蔭である。




            倉敷川・椿
          


掲載句はほぼ一週ごとに書き足してゆきます。

                                



コメント

  1. 朝日新聞は購読していませんのでこのページで読む事が出来て嬉しいです。お上手なお句と素敵な選評を楽しく読ませて頂きましたー

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