1 直近(前月および当月抜粋)の作品
――令和7年は1月12日(日)が最初の掲載日。今回と次回は初春(はつはる)を飾る作品が多く選ばれた。〈 初明りして島の影橋の影 〉本年第一回は瀬戸内の初日(はつひ)から始まった。順次投句が届いており、心を引き締めつつ、本年も皆さまの作品を楽しみにお待ちしております。
2 最近~2017年の紙上掲載作品
*目下書き足し中。
1 直 近
●春風に鼻腔(びこう)大きな鬼瓦 (赤 磐) 津田 卿雲 令7・4・6掲載 強面(こわおもて)の、鼻が売りの鬼瓦だけにユーモラスに感じられる。春風駘蕩(しゅんぷう・たいとう)とは一見難しい言葉だが、この句の状態だと言えば、何となく分かるのではないか。
●電灯の紐がつかめぬ春の宵 (倉 敷) 稲田マスミ 令7・3・30掲載 春宵一刻…寝てなど居れぬ春の宵。べつに行く所がある訳ではない。すっくと起き上がる春の闇。それにしてもじれったい、紐がなかなかつかめない。
●手弁当ハムサンドとは春らしく (岡 山) 和田 大義 令7・3・23掲載 弁当自前の奉仕活動か。こういう場合簡単・質素がお定まりだが、ハムサンドに感心しているところが微笑ましい。春ならではの心の機微が感じられる。
●軒氷柱(のきつらら)上り下りの列車着く (玉 野) 三好 一彦 令7・3・16載 小さな木造の無人駅だろうか。そこへ上り下りの列車が入ってくる。いっときの賑わいの後、列車が去ってゆくと再び氷柱だけの駅となるのである。
●水涸れて暗渠の音の軽やかに (倉 敷) 岡本 保良 令7・3・2掲載 地下に張り巡らされている暗渠(あんきょ)。雨水の少ない時期は内部の空間が多いから、流水音は大きく響くだろう。とは言えそれを聞き留めたのは作者の感性である。
●アラジンのストーブ据えて方丈記 (倉 敷) 守谷 妙子 令7・2・23掲載 アラジンストーブを真ん中に据えて、ゆく河の流れは絶えずして――。方丈記が出現し、異文化掛け合せの効果か、不思議な空間が醸し出された。
●素足にてやまとなでしこ寒稽古 (赤 磐) 津田 卿雲 令7・2・16掲載 大和撫子の持つ一面に繊細・か弱さがある。そして気高さ漂う女性がこの最も寒い時に素足で――。白装束に紫の襷(たすき)掛け、凜とした姿が目に浮かんでくる。
●浅漬の大根を切る刃音かな (岡 山) 大石 和昭 令7・2・9掲載 浅漬けは手軽に出来て生野菜より栄養価が高い?とか。包丁の音から、しゃきっとした大根や人物の仕草までが目に浮かび、切れ味のよい句となった。
●ほろ酔いのほほえむ遺影十二月 (倉 敷) 小合かずえ 令7・2・2掲載 ほろ酔いの主は親か夫か……。お酒が回ると上機嫌になる方だったのだ。そして今年も一年間よくやったねと見つめていてくれる優しい人でもあった。
●物件の庭を横切る狸かな (岡 山) 貝畑 信行 令7・1・26掲載 多分この物件は中古住宅だろう。なかなか売れぬうちにまた冬になってしまったのである。庭を狸が横切るようになっては、はっきり言って売却は難しい。
●正月や磨けば光る古道具 (備 前) 石谷 みち女 令7・1・19掲載 年が改まれば全てが一新する、と思いたいが実際には人も道具も年々古くなる。磨けば光るには救われるが、この古道具、我々のことかも…と、つい深読み。
●初明りして島の影橋の影 (倉 敷) 梅田 光憲 令 7・1・12掲載 この年この世に差す初めての光を浴び、身も心も引き締まる。広がる海の、島や橋もその影によって際立ってゆく――、初明りならではの景観である。
●白黒のモダンタイムス紅葉散る (玉 野) 三好 一彦 令 6・12・22 チャプリンのモダンタイムスは白黒(モノクロ)映画だった。艶(あで)やかな紅葉も当然白黒だが、観衆はたちまち燃える紅葉を連想した。…俳句鑑賞もこうありたい。
連翹(れんぎょう)の道
■短日や立てて売らるる海老フライ (岡 山) ひらの ゆう 令 6・12・15 カラッと揚げ、油を切るために立てて並べる―、のかどうか筆者は知らない。見たこともない。日が短くなった暮れ方、理由を尋ねる人もいない。
■階(きざはし)を為す走り根や萩の花 (岡 山) 押目 光世 令 6・12・8掲載 階(きざはし)は堂塔へ通う石段。かつて栄えたその跡に古木の走り根が段状に延びている。そして往時を偲ばせるように萩の花が一面を装っていた。
■住み慣れし木造平屋葉鶏頭 (岡 山) 中西 節子 令6・12・1掲載 住み慣れた我が家に、別れを告げる日が近づいているのだろうか。秋の深まりと共に色づいてくる葉鶏頭に、名残を惜しむ心情が読みとれる。
■助手席に五等の醤油村祭り (鏡 野) 原 洋一 令6・11・24掲載 五等の醤油から祭りの始終が伝わってくることに驚いた。助手席から帰りの疲労感も感じられ、作者を取り巻く地域の暮らしぶりなど、様々が思い浮かんでくる。
■巻鬚(まきひげ)の音の出さうな烏瓜 (鏡 野)藤田 明子 令6・11・17掲載 うす緑に白い縞模様の烏瓜。蔓の先端をキュートな巻鬚と捉え、なおかつ音が出そうと音楽的な描写。ショパンの夜想曲など聞こえてきそうである。
■小鳥来る庭に大樹のパン工房 (倉 敷) 守谷 妙子 令6・11・10掲載 庭に大樹のあるパン工房、つい何処だろうかと思った。この二つが揃えば小鳥も当然やって来るだろう。パンと大樹の結びつきから意外な展開が生まれた。
誰からも遠きところという措辞が出色。鯊(はぜ)がよく釣れて上々の天気。人間関係からしばし解き放たれた作者の、爽やかな心持ちが伝わってくる。……この作品は選者として最初の選評(平成27年12月2日掲載)であり、選者としても記念の一句。
■ 風光る波打際の美術館 (津 山) 沢 紅子 風が光って見えるという感覚的な季語と、美術館の取合せ。そして波打際の措辞によって誰もが瀟洒(しょうしゃ) な景観を思い描き、そこへ行ってみたいと思うことだろう。
■ 霊峰のコップを弾く石清水 (岡 山) 柴田 征子 霊峰は麓へ良水を供給しているが、山中すでに岩清水となって噴く。コップを弾く清らかな水滴は、登山者のみに与えられた山の神からのご褒美である。
■吉備大路(おおじ)秋は静かに塔建てり (岡 山) 和田 大義 令6・11・3掲載 吉備路風土記の丘に、天平の景を重ねたような表現タッチ。秋の一字から豊かな落ち着きが伝わってくる。当時の吉備は文化の最先進地域だったのであろう。
■ シニアカー同士手渡すさくらんぼ (鏡 野) 西村なほみ
電動車椅子また三輪・四輪と性能・種類も豊富になってきた高齢者用シニアカー。二台が落ち合いさくらんぼの受け渡し。微笑ましいやら羨(うらや)ましいやら。
■ 陸奥の夜長は何処も濡れてをり (玉 野) 三好 一彦
陸奥(みちのく)は東北地方を表す古称。夜長の濡れは極めて感覚的なものだが、いかにもしめやかな夜長が感じられる。朝露夜露、陸奥の冬は駆け足でやって来る。
■ 夏の果て足が勝手に足洗ふ (備 前) 石谷みち女
夏の終り頃には夏バテにもなり疲労困憊。泥付きの足を手ではなく別の足が洗っているのだ。誰しも覚えがありながら、こんな句初めてお目にかかった。
■ 五月晴私ひとりに停るバス (岡 山) 守屋惠美子
停留所にバスが来た、乗客は私だけ。普通なら侘しい気分になるところ、自分のために来たと豪勢な捉え方。これも快い風吹く五月晴のせいだろう。
■ 春時雨音無く廻る轆轤かな (赤 磐) 津田 卿雲
音無く廻るという措辞は、轆轤(ろくろ)が勝手に廻っているような印象を与えるが、勿論廻しているのは陶工である。轆轤と一体となっている人間と、それをすっぽりと包み込む春時雨の情趣。
■ 秋澄むやバスケシューズのキュッと鳴き (岡 山) 曽根ゆうこ
路傍の水溜まりさえも澄み渡る秋。キュッの音から澄み切った空気感が伝わってくる。そして鳴くの措辞に青春の一種やるせない響きが感じられる。
■ 流灯のやうに尾灯は遠ざかる (岡 山) 青山 憲之
流灯は先祖送りの盆行事。流灯(りゅうとう)と尾灯(びとう)の描写によって、盆の最終段階の場面を情緒豊かに表した。この尾灯は子達の帰りを見送る心に滲みる灯(あか)りである。
桜と紫荊(はなずおう)…紅白の対比が鮮やか――――岡山市北区中原――中原川公園2024・4・9
■ 東国に先んぜられし梅雨入(ついり)かな (岡 山) 三好 泥子
政治経済から文化の発信まで東京に制されて久しい。この現状への不満が、梅雨入りに向けられたところが俳諧。そう言えば今年ちょっとだけ関東が早かったかも。
■竹箒ゆふべの雪の軽きかな (鏡 野) 藤田 明子
冬晴れの朝の玄関先を掃く軽快な竹箒の動き。ふわふわと降る雪にも随分重さの違いがあるそうだ。この雪は山脈を越えて風に乗ってきた新雪に違いない。
■ 溜め池にバス独唱の牛蛙 (赤 磐) 桝田 正治
「独唱」の措辞によって、溜め池は野外ステージとなり、蝶ネクタイを付けた牛蛙の姿を思い描かせた。そして重厚な低音が周辺の空気を震わせる――。
■ 花辣韮真青な空に手を伸ばし (美 咲) 川上 京子
歳時記では辣韮(らっきよう)は夏で、食用の球根を指すが花は晩秋に咲く。その頃の澄み渡る空のもと、線香花火を空に向けたような、紫色の小花を放射状に咲かせる。花言葉はつつましきあなた。
祭提灯(ちょうちん)は輪状に組んだ竹ひごに和紙を貼付けて作る。バリバリ音が発するのは紙に油引きを施しているから。往時の提灯はみな威勢の好い音がした。
■弓狭間より春灯(しゆんとう)のコード引く (岡 山) 大森 哲也
弓狭間(ゆみはざま)に配線コード。これだけでライトアップされた城と桜の全貌が浮び上る。提灯・雪洞(ぼんぼり)が華やかさを演出するが、弓狭間がこんな所で役立つとは。
■去年今年二人の東京物語 (赤 磐) 桝田つやこ
小津安二郎の「東京物語」。その映画を知る二人が、半世紀を経て自分達の東京物語を体験した。季語の去年今年(こぞことし)には歳月の流れへの感慨が込められている。
■ミモザ咲く島の生家が手放せず (玉 野) 木村 雅子
故郷は瀬戸の何島です、何々諸島です、という人は意外に多い。その多くの人の実情、心情が伝わってくる。門先のミモザの花が春到来を告げている頃。
遊行柳(ゆぎょう・やなぎ)
■早朝の書斎に眠る水中花 (津 山) 森川 孤陋
水中花は作り花のためか、ほとんどの句は競って生き生きと描く。ところがこの水中花は眠ったまま。開花の姿は読者の余情に任せているのである。
■口語訳古事記手元に水草生ふ (鏡 野) 髙原喜久子
春の岸辺や水面を彩る水草。季語の水草生(みくさお)ふによって、我が国草創期の美称、豊葦原の瑞穂の国のイメージが呼び起こされる。国生み伝承に始まる古事記伝。口語訳なら読めそうな気がしてくる。
■きびす上げ爪先立に冬近し (岡 山) 谷 美津子
●未草開く露天の古火鉢 (岡 山) 三好 泥子 402回
意外にも本来の使用目的とは真逆の水鉢として、火鉢は生き残っていた。玄関脇などで可憐な未草(ひつじぐさ)(睡蓮(すいれん))が楽しめるのも、古火鉢のお蔭である。
朝日新聞は購読していませんのでこのページで読む事が出来て嬉しいです。お上手なお句と素敵な選評を楽しく読ませて頂きましたー
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