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  倉敷/下庄    南瓜庵除風と千句塚 (なんきんあん・じょふう・と・せんくづか)      倉敷市下庄。町並の南端を東西に旧鴨方街道が走り、その南一帯は田園が広がる。その一角に御輿形の薬師堂があり、傍らに芭蕉翁墓と刻まれた供養碑が立っている。     元禄年間、深川芭蕉庵を訪れ、奥の細道のあとを訪ねた人物がここに庵を結んだ。南瓜庵除風(なんきんあん・じょふう)と名告った。備中八田部(現総社市)の産と伝わる雲水僧で、以後10年間で備前・備中・美作(岡山県全域)の俳壇を牽引する活躍をした。だが人物・業績ともに多くを知られていない。   元禄7年芭蕉は大坂で客死した。その10回忌に除風は俳諧撰集『千句つか』を京の井筒屋庄兵衛より出版。その千句を芭蕉翁の魂として供養墓に納め、「千句塚」と称した。 それに先立つ元禄13年、撰集『青筵』を出版。その巻頭歌仙――                             引よせて放し兼たる柳かな         丈艸                      幕もひらめく船のはる風         除風 に始まり、嵐雪との両吟歌仙。白川・仙台・松島などの吟行句ありと多彩である。   『千句つか』の内容は、許六の序に続き百韻連歌の表八句を掲出。巻頭は芭蕉の〈春もやゝ気色とゝのふ月と梅〉を発句とした地元下庄の一巻。次いで倉敷・下津井・久世……と県下の主要街道・港等の連衆による千句一巡。続く献句には素堂・尚白の詞書があり、杉風・去来・支考・惟然・智月・李由・洒堂など芭蕉高弟ほか総勢91名である。   除風はほどなく、俳諧の祖山﨑宗鑑ゆかりの一夜庵再興のため突然讃岐(香川県)へと移り去った。築いた地盤を放擲するほどの如何なる事情があったのか。南瓜庵は昭和29年の台風で倒壊、今は薬師堂と芭蕉翁墓、そして除風句碑が静かに佇んでいる。 南瓜庵旧址 薬師堂は四ツ堂とも呼ばれている。このお堂の右端角に「芭蕉翁墓」と刻まれた供養碑。これに献句集を芭蕉の魂として奉納した。 奉納句の主要部分が一巡千句の作品であるので「千句塚」と呼ばれる。  右の写真は除風の句碑。 眼を古ゝ尓飛らく本とけや千々の花     除風        (めをここにひらくほとけやちぢのはな) この句は奉納撰集『千句つか』の中の奉献発句集の巻頭に据えられている。開眼供養の開始に季語