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  俳句   昭和の風景 白帆の一句鑑賞  ―― 総合誌・結社誌・句集から抄出 ここに取り上げた作品は平成13年以降数年の間に書いたものが中心で、題して「昭和の風景」とした。これに新しく書いたものを足していくという感じになる予定。気楽に読んでいただければ有り難い。   ● 蜘蛛に生まれて蜘蛛の囲を作るかな          今瀬 剛一      昭和には跡継ぎという言葉が罷り通っていた。それは貴重な存在でもあった。また分相応という言葉がある。善し悪しは別として、それは守られるべきものという考えに立っている。秩序、諦観などのイメージを伴うこのような言葉を若者は嫌う。現に親の仕事とか家業を継ぎたくないと言って、反発する事態は跡を絶たない。しかし最終的には所謂「蜘蛛の囲」を作ることに落ち着く場合が多く、しかも親を越える仕事をすることすらある。さて実際の蜘蛛の囲であるが、朝日に輝く縦横の糸の造形はまさに芸術品。蜘蛛以外の者に、これが作れるとは到底思われない。   ● 祭果つ夜店手荒くたたまれる             三橋  茂   言われてみれば、店仕舞いの音はけたたましい。ライトが消され、木枠が放り投げられ、箱を足で踏みつぶす。祭は昔から町の顔役と勇み肌の若衆によって継承されてきた。祭から祭へと渡り歩く夜店も、テキ屋が仕切る仁義の世界。朝市の店仕舞のようなわけにはいかない。   ● 断腸亭忌日や銀座尾張町             星野麦丘人   江戸の名残り、銀座尾張町。ほかに出雲町、加賀町など旧国名の付いた町が、昭和初期まで銀座のど真ん中にあった。四丁目の交差点は尾張町交差点と呼ばれていた。永井荷風は、本名壮吉、断腸亭主人と号した。あめりか物語、ふらんす物語で一躍名を上げ、慶大教授として「三田文学」を主宰した。華やかな一方、晩年は形骸化した文明への嫌悪を抱き、江戸趣味を強めてゆく。その頃の荷風こそ荷風らしいと思えるが、花柳界をテーマの「腕くらべ」「おかめ笹」、「つゆのあとさき」では銀座の女給を描いた。いいとこのぼんぼんから出発し波乱に満ちた断腸亭の生涯を、銀座尾張町という、世間から忘れかけた町名のみを提示し、その他はすべて背景にくらませた。   ● 数へ日や市場の下を川流れ              清水  道子  戦後の市場は、駅や港近くの道路や広場などに、自然発