リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ - 9月 04, 2020 秀句鑑賞2020年句会報 ここに落ちるつもりだつたか牡丹雪 葉狩淳子 一片の牡丹雪が地へたどり着いた。ふつう牡丹雪の句は浮遊 している空中の描写か、もしくは地に着いた時点で作品は終り である。しかしこの句は普通終りのところから始まっている。 本当はもっと別なところがあったのではないか…、ためらうよ うに落ちた牡丹雪を見て、自問自答の作者の姿が見えてくる。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
贈呈句集を読む - 11月 12, 2021 2021後半より・ 贈呈句集を読む ―― 10句選 1 安光潁耳 ――eiji・yasumithu 『俳句の杜2021 精選アンソロジー』本阿弥書店 安光潁耳 (やすみつ・えいじ) 大正14年、岡山県美作市(旧湯郷村)生まれ。昭和38年「うまや」・昭和40年「雪解」入門。句集『耳の日』。公社) 俳人協会々員 。 孤老なほ医書枕頭に朝寝かな 青空に枝の曲折梅開く 桜鯛糶り落とされてしづもりぬ 定家葛なり天辺の花卍 白壁を蜥蜴走るは飛ぶごとし 虫の音のはたと絶えたる厄日かな 荒野より花野へ雲の影移る 親方の仕上げの鋏松手入 葛に足取られて転ぶ荒野かな 夜寒星湖に動く火動かぬ火 16人の作家によるアンソロジー。作品100句の前のショートエッセイ「ついの栖」がいい。「……二階の東窓を開けると祇園用水のながれを見ることが出来、その水音を聞くことができる。この用水をさかのぼれば……」との出だしから家を取り巻く周辺の歴史的遺産・環境描写に一気に引き込まれる。終章に、ただ惜しむらくは止めがたい私自身の老化…と。作者紹介の大正14年生まれが何歳か、暦で確認すると96歳であった。 続きを読む
- 12月 01, 2020 さあ海原へ ―― 白帆の十句選 令和2年11月 ■ 白梅句会 海鳴りを被る国道秋遍路 徳子 海鳴りは音だが被(かぶ) るという措辞で、潮(うしお)を被るような臨場感が生まれた。海岸沿いの国道 というスチィエーションもよい。 十日夜行き先捜す救急車 一航 田から山へ神様がお帰りになる日、十日夜(とお かんや・陰暦10月10日)。頼にもよってそんな日に、行き先がまだ決まらない救急車。 渓流の音に木々の葉染まりゆく かすみ 紅や黄に渓谷を彩る様々な木々。清らかな流れのその響きが相俟って、得も言われぬ彩りを染めてゆく。 古池や満月見あぐ鮒なまづ 陽陽空 寂びの象徴古池と花鳥風月の月に対して「鮒(ふな)なまづ」 と付けたところが俳諧。読者は、古池や蛙…の先行句を下重ね に、鮒となまづの月夜の静寂を思い描くことだろう。 杉玉の緑馨し今年酒 登 「芳しい」はしばしば目にするが…。馨(かぐわ)しの読みが、杉玉の緑をより新鮮に感じさせる。 様々なもみぢの集ふ吹きだまり 千都子 もみぢと言っても楓・櫨・蔦・銀杏・柿……と。さらに大小様々、綺麗な葉から枯葉まで。それらが集っていると捉えたところに独自の視線が感じられる。 鵯鳴くや百歳体操いちにっさん 佳子 一二三、の掛け声と鵯(ヒヨ)の相乗効果。 鵯は人家近くに来て何でも食べ、ピーヨ・ピーヨと元気よく鳴く。 七竈口うるさきは母似かな 嘉子 兄弟姉妹のことかあるいは夫のことか。いやいや 自分自身を見詰めていると読むのが穏当。七竈(ナナカマド)は楓もみぢと違い勢いのよい赤。往年の母子の様子がほのぼのと。 駄菓子屋に人群れ稲は豊かなる みい子 下町風景の駄菓子屋と豊かに実る田園。収穫の時期ならではの人と自然の充足感が伝わってくる。 切干や踵おとしを五十回 続きを読む
『奥の細道』全発句(63句) - 10月 05, 2020 ■ 奥の細道 草の戸も住替る代ぞひなの家 (深川) 草庵を人に譲っての旅立ち。次は雛飾りのある華やいだ家になるだろうよ(出立の感慨と草庵への挨拶句) 行春や鳥啼魚の目は泪 (千住) 行く春を惜しんで鳥や魚まで悲しむ。別れの心情 あらたうと青葉若葉の日の光 ああ尊いなあ、ここ日光では青葉若葉が日の光に輝いている。日光山東照宮への挨拶句 剃捨て黒髪山に衣更 (曾良) 黒髪山は歌枕。日光連山の主峰男体山(なんたいさん)の別称 暫時は瀧に籠るや夏の初 裏見(うらみ)の滝(歌枕)拝観。しばらく、夏(げ)の荒行に挑む修行僧の気分に かさねとは八重撫子の名成べし (曾良) かさねという優雅な名の子登場。物語に色を添えたか 夏山に足駄を拝む首途哉 役行者(えんのぎょうじや)の足駄を拝し、出立の思いを新たにした 木啄も庵はやぶらず夏木立 芭蕉参禅の師仏頂(ぶっちょう)和尚が修行した草庵を、雲巌寺(うんがんじ)の山中に捜し、見つけた。啄木が突けば崩れそうな草庵が現存していた。 野を横に馬牽むけよ郭公 郭公 (ほととぎす)が野を横切ったぞ、馬をそっちに向けてくれ――。当時(江戸時代)はほととぎすを郭公と表記していた。 田一枚植て立去ル柳かな 道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ 西行 西行は柳の陰(かげ)に立ち止まった。対して芭蕉は立ち去る柳と詠み、西行上人と呼応し偲んだのではないか。 続きを読む
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