秀句鑑賞

白帆の一句鑑賞 



 初秋や少し遠出の喫茶店             和田大義

  残暑の内にもふっと秋を感じる、そんな地味な季語が作品にそこはかとない情趣をもたらした。少し遠出というところ、その行き先が喫茶店というところ…、この人物像を浮かばせるキーワードである。


 お十夜の回覧板の濡れて来る    稲田マスミ

  雨に打たれた回覧板とお十夜の間に、訳もなく響き合う何かを感じる。浄土宗の大切な念仏法要、お十夜ならではの摩訶不思議というほかない。


 誰からも遠きところの鯊日和    中西節子

 誰からも遠きところという措辞が出色。鯊(はぜ)がよく釣れて上々の天気。人間関係からしばし解き放たれた作者の、爽やかな心持ちが伝わってくる。


  ここに落ちるつもりだつたか牡丹雪      梶間淳子

  一片の牡丹雪が地へたどり着いた。ふつう牡丹雪の句は浮遊している空中の描写か、もしくは地に着いた時点で作品は終りである。しかしこの句は普通終りのところから始まっている。本当はもっと別なところがあったのではないか…、ためらうように落ちた牡丹雪を見て、自問自答の作者の姿が見えてくる。


   柊の花や一生(ひとよ)の午前午後      手塚美佐

冬の花は概ね地味だが案外香りのいい ものが多い。柊の花も小さく地味ながら、気品のある芳香を放つ。一生と書いて「ひとよ」と読ませ、一生という長い期間を午前と午後に二分している。その断じ方が荒っぽいにも拘わらず、季語を含め、用いている語彙や表現が柔らかいためか、妙にしっとりとしているのである。そして作者の意識は一生(ひとよ)の午後の部分に注がれており、その意識の深さと柊の花の香りが、次第に重なってくる。 ふだんから造語的なあて字は嫌いだが、この一生(ひとよ)はとてもいい。つまるところ、言葉というものは使い方次第ということなのだろう。また、八四五の変則的な並びが独特の屈折をもたらしており、リズム的にも言葉の意味性からも、危ういところでバランスを保っている。十七音で何が表現できるか。どこまで表現できるかと考える時、この柊の花が浮かんでくる。



   天の川渡るお多福豆一列        加藤楸邨

  地球が属している銀河系は、天の川銀河とも言うそうで、我々が眺めている天の川は、その銀河の中から外周を見ているのだそうである。たとえが悪いかも知れないが、胎児が母親の、陽に透けるおなかの皮を眺めているようなものかと思つた。そのような思いをもって天の川を見上げると、星々の輝きも懐かしいような、そしてやさしく包み込んでくれているようにも感じられる。楸邨については、代表句ぐらいは知つている程度で、余り関心を持つたことはない。その私にこの句がふんわりと映つた。どなたかの鑑賞文付きで、よくは覚えていないが、「一列になつて渡るお多福豆。胸を張つている者、うつむいている者――云々。」という感じの文であつた。天の川を舞台の人生ドラマ、そのユーモラスな幕開け、とでも言っておこうか。天の川を仰げば、妙にお多福豆の列が現れてくる……。


ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)
この草花の名が知りたくて通りがかりの近所の方に聞いたが誰も分からない。おうちの人に訊ねてみたけど「知らない」と、意外な返事。ほかでも時々見かけるが、このボリュームは凄い。
教えてくださった方は「姫ソバ」と言われたが、略称かも知れない。





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