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第一席寸評抄 朝日新聞岡山俳壇  選者 大倉白帆   1 直近(前月および当月抜粋)の作品 2 最 近~2017年紙上掲載の作品  *目下書き足し中。   1  直 近 ● 巻鬚 (まきひげ) の音の出さうな烏瓜   (鏡 野)藤田 明子      令6・11・17掲載       うす緑に白い縞模様の烏瓜。蔓の先端をキュートな巻鬚と捉え、なおかつ音が出そうと音楽的な描写。ショパンの夜想曲など聞こえてきそうである。 ● 小鳥来る庭に大樹のパン工房     (倉 敷)  守谷 妙子     令6・11・10掲載       庭に大樹のあるパン工房、つい何処だろうかと思っ た。 この二つが揃えば小鳥も当然やって来るだろう。パンと大樹の結びつきから意外な展開が生まれた。 ● 吉備大路 (おおじ) 秋は静かに塔建てり        (岡 山)   和田 大義                     令6・11・3掲載     吉備路風土記の丘に、天平の景を 重ねたような表現タッチ。秋の一字から豊かな落ち着きが伝わってくる。当時の吉備は文化の最先進地域だったの であろう。 ● 水音の励まし止まぬ芋水車        (岡 山) 難波 鈴江    令6・10・27掲載 芋の子を洗うようと喩えるが、まさにそれ用の水車 ( みずぐるま) 。流水の勢いが中七から伝わってくる。泥はおろか皮まで剥けそうな仕掛け、人知の極みというべし。 ●   月見月影絵としずむビルの町          (岡 山)  髙柳美意子 月見月 (つきみづき) はその名の通り最も月見に適した月 (新暦九月) である。澄み渡る夜空を照らす月光は、ニョキニョキ伸びるビル群を一枚の影絵と化した。 ● 椋鳥の群一本に納まりぬ            (岡 山)  石破ますみ   406回 数百羽の大群が旋回ののち椋 (むく) の大木に降りたのを目撃したことがある。まるで吸い込まれるように収まり、椋の木は何事も無かったように佇 (たたず) んでいた。 ● 大安の酷暑に返す免許証           (美 作) 石田 晴彦    405回 いつか返納しなければならない免許証。その決断をさせたのは今年の酷暑 (こくしょ) であった。大安によって、大過なく過ごせたことへの感謝の念が 伝わってくる。 ● ラジオから「喝采」流る夏

会報「俳句クラシック」

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会報 『 俳句クラシック 』 昭和・平成・令和を生きる現代作家の軌跡――。 趣意 既発表作品を中心に、各人の作品記録を主眼とします。 1 投稿について ●特別作品 (会より依頼) 既発表作品を中心に、依頼のテーマなどに添って投稿してください。俳句の場合、通常3~10句です。 ● 一般投稿 (投句など)  ■ 結社・句会等に所属していない人 :所定の応募要領に沿って投句してください。一定の基準に添い「会報」または当ブログに掲載します。掲載に至らないものについては適宜助言等いたします。  ■ 結社・句会等に所属している人 :作品投稿時に所属を明記のこと。作品掲載は原則一年以上後になります。 2 地域作家紹介・句会紹介 3    季語を考える 4  蕉風俳諧について・ほか   2024年秋 編…募集中。作品掲載は2024年11月末頃の予定。 「会報」+「ブログ」―― 『俳句クラシック』 2024夏の一句    暁や白帆過ぎゆく蚊帳の外  子規                              (あかつきやしらほすぎゆくかやのそと   しき )  以後、写真などまじえ順次掲載となります。ご期待ください。 千手山広方寺山門とサルビア

贈呈句集を読む

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  2021後半より・ 贈呈句集を読む ―― 10句選または鑑賞文 1  安光潁耳  ――eiji・yasumithu 『俳句の杜2021 精選アンソロジー』本阿弥書店 安光潁耳 (やすみつ・えいじ) 大正14年、岡山県美作市(旧湯郷村)生まれ。昭和38年「うまや」・昭和40年「雪解」入門。句集『耳の日』。公社) 俳人協会々員 。    孤老なほ医書枕頭に朝寝かな      青空に枝の曲折梅開く      桜鯛糶り落とされてしづもりぬ      定家葛なり天辺の花卍     白壁を蜥蜴走るは飛ぶごとし      虫の音のはたと絶えたる厄日かな                    荒野より花野へ雲の影移る      親方の仕上げの鋏松手入      葛に足取られて転ぶ荒野かな   夜寒星湖に動く火動かぬ火 16人の作家によるアンソロジー。作品100句の前のショートエッセイ「ついの栖」がいい。「……二階の東窓を開けると祇園用水のながれを見ることが出来、その水音を聞くことができる。この用水をさかのぼれば……」との出だしから家を取り巻く周辺の歴史的遺産・環境描写に一気に引き込まれる。終章に、ただ惜しむらくは止めがたい私自身の老化…と。作者紹介の大正14年生まれが何歳か、暦で確認すると96歳であった。 2024/10/09  著者からお便りがありました。  ブログ拝見しました。「俳句クラシック」楽しみにしています。ただ今介護保険施設でお世話になっています。熱が出たりすると施設関連の病院のお世話になっています。先日入院しました。部屋の窓から操山の安住院多宝塔(通称、瓶井 みかい の塔)が見えました。吟行していた頃が懐かしく思い出されました。                                    ● 澄むといふことかくばかり秋日 あきひ 射す                       ● 瓶井の塔かつて登りし日もありし                         ● 瓶井の塔のふもとのみかい寺も秋  潁耳 えいじ         ★★★                            99歳ということですねー。淡々とした詠みっぷりも健在、嬉しいお便りでした。 2     杉本征之進 ――seinoshin・sugimoto          句集『山
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  倉敷/下庄    南瓜庵除風と千句塚 (なんきんあん・じょふう・と・せんくづか)      倉敷市下庄。町並の南端を東西に旧鴨方街道が走り、その南一帯は田園が広がる。その一角に御輿形の薬師堂があり、傍らに芭蕉翁墓と刻まれた供養碑が立っている。     元禄年間、深川芭蕉庵を訪れ、奥の細道のあとを訪ねた人物がここに庵を結んだ。南瓜庵除風(なんきんあん・じょふう)と名告った。備中八田部(現総社市)の産と伝わる雲水僧で、以後10年間で備前・備中・美作(岡山県全域)の俳壇を牽引する活躍をした。だが人物・業績ともに多くを知られていない。   元禄7年芭蕉は大坂で客死した。その10回忌に除風は俳諧撰集『千句つか』を京の井筒屋庄兵衛より出版。その千句を芭蕉翁の魂として供養墓に納め、「千句塚」と称した。 それに先立つ元禄13年、撰集『青筵』を出版。その巻頭歌仙――                             引よせて放し兼たる柳かな         丈艸                      幕もひらめく船のはる風         除風 に始まり、嵐雪との両吟歌仙。白川・仙台・松島などの吟行句ありと多彩である。   『千句つか』の内容は、許六の序に続き百韻連歌の表八句を掲出。巻頭は芭蕉の〈春もやゝ気色とゝのふ月と梅〉を発句とした地元下庄の一巻。次いで倉敷・下津井・久世……と県下の主要街道・港等の連衆による千句一巡。続く献句には素堂・尚白の詞書があり、杉風・去来・支考・惟然・智月・李由・洒堂など芭蕉高弟ほか総勢91名である。   除風はほどなく、俳諧の祖山﨑宗鑑ゆかりの一夜庵再興のため突然讃岐(香川県)へと移り去った。築いた地盤を放擲するほどの如何なる事情があったのか。南瓜庵は昭和29年の台風で倒壊、今は薬師堂と芭蕉翁墓、そして除風句碑が静かに佇んでいる。 南瓜庵旧址 薬師堂は四ツ堂とも呼ばれている。このお堂の右端角に「芭蕉翁墓」と刻まれた供養碑。これに献句集を芭蕉の魂として奉納した。 奉納句の主要部分が一巡千句の作品であるので「千句塚」と呼ばれる。  右の写真は除風の句碑。 眼を古ゝ尓飛らく本とけや千々の花     除風        (めをここにひらくほとけやちぢのはな) この句は奉納撰集『千句つか』の中の奉献発句集の巻頭に据えられている。開眼供養の開始に季語
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  俳句   昭和の風景 白帆の一句鑑賞  ―― 総合誌・結社誌・句集から抄出 ここに取り上げた作品は平成13年以降数年の間に書いたものが中心で、題して「昭和の風景」とした。これに新しく書いたものを足していくという感じになる予定。気楽に読んでいただければ有り難い。   ● 蜘蛛に生まれて蜘蛛の囲を作るかな          今瀬 剛一      昭和には跡継ぎという言葉が罷り通っていた。それは貴重な存在でもあった。また分相応という言葉がある。善し悪しは別として、それは守られるべきものという考えに立っている。秩序、諦観などのイメージを伴うこのような言葉を若者は嫌う。現に親の仕事とか家業を継ぎたくないと言って、反発する事態は跡を絶たない。しかし最終的には所謂「蜘蛛の囲」を作ることに落ち着く場合が多く、しかも親を越える仕事をすることすらある。さて実際の蜘蛛の囲であるが、朝日に輝く縦横の糸の造形はまさに芸術品。蜘蛛以外の者に、これが作れるとは到底思われない。   ● 祭果つ夜店手荒くたたまれる             三橋  茂   言われてみれば、店仕舞いの音はけたたましい。ライトが消され、木枠が放り投げられ、箱を足で踏みつぶす。祭は昔から町の顔役と勇み肌の若衆によって継承されてきた。祭から祭へと渡り歩く夜店も、テキ屋が仕切る仁義の世界。朝市の店仕舞のようなわけにはいかない。   ● 断腸亭忌日や銀座尾張町             星野麦丘人   江戸の名残り、銀座尾張町。ほかに出雲町、加賀町など旧国名の付いた町が、昭和初期まで銀座のど真ん中にあった。四丁目の交差点は尾張町交差点と呼ばれていた。永井荷風は、本名壮吉、断腸亭主人と号した。あめりか物語、ふらんす物語で一躍名を上げ、慶大教授として「三田文学」を主宰した。華やかな一方、晩年は形骸化した文明への嫌悪を抱き、江戸趣味を強めてゆく。その頃の荷風こそ荷風らしいと思えるが、花柳界をテーマの「腕くらべ」「おかめ笹」、「つゆのあとさき」では銀座の女給を描いた。いいとこのぼんぼんから出発し波乱に満ちた断腸亭の生涯を、銀座尾張町という、世間から忘れかけた町名のみを提示し、その他はすべて背景にくらませた。   ● 数へ日や市場の下を川流れ              清水  道子  戦後の市場は、駅や港近くの道路や広場などに、自然発
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   さあ海原へ           ―― 白帆の十句選   令和2年11月  ■ 白梅句会   海鳴りを被る国道秋遍路      徳子     海鳴りは音だが被(かぶ) るという措辞で、潮(うしお)を被るような臨場感が生まれた。海岸沿いの国道 というスチィエーションもよい。 十日夜行き先捜す救急車              一航                     田から山へ神様がお帰りになる日、十日夜(とお かんや・陰暦10月10日)。頼にもよってそんな日に、行き先がまだ決まらない救急車。 渓流の音に木々の葉染まりゆく      かすみ                                                    紅や黄に渓谷を彩る様々な木々。清らかな流れのその響きが相俟って、得も言われぬ彩りを染めてゆく。 古池や満月見あぐ鮒なまづ          陽陽空    寂びの象徴古池と花鳥風月の月に対して「鮒(ふな)なまづ」 と付けたところが俳諧。読者は、古池や蛙…の先行句を下重ね に、鮒となまづの月夜の静寂を思い描くことだろう。 杉玉の緑馨し今年酒                登      「芳しい」はしばしば目にするが…。馨(かぐわ)しの読みが、杉玉の緑をより新鮮に感じさせる。 様々なもみぢの集ふ吹きだまり   千都子    もみぢと言っても楓・櫨・蔦・銀杏・柿……と。さらに大小様々、綺麗な葉から枯葉まで。それらが集っていると捉えたところに独自の視線が感じられる。 鵯鳴くや百歳体操いちにっさん      佳子                              一二三、の掛け声と鵯(ヒヨ)の相乗効果。 鵯は人家近くに来て何でも食べ、ピーヨ・ピーヨと元気よく鳴く。 七竈口うるさきは母似かな          嘉子                         兄弟姉妹のことかあるいは夫のことか。いやいや 自分自身を見詰めていると読むのが穏当。七竈(ナナカマド)は楓もみぢと違い勢いのよい赤。往年の母子の様子がほのぼのと。 駄菓子屋に人群れ稲は豊かなる       みい子                       下町風景の駄菓子屋と豊かに実る田園。収穫の時期ならではの人と自然の充足感が伝わってくる。 切干や踵おとしを五十回 

『奥の細道』全発句(63句)

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  ■ 奥の細道 元禄二年弥生廿七日、 草の戸も住替る代ぞひなの家    (深川)    草庵を人に譲っての旅立ち。次は雛飾りのある華やいだ家になるだろうよ(出立の感慨と草庵への挨拶句) 行春や鳥啼魚の目は泪      (千住)         行く春を惜しんで鳥や魚まで悲しむ。別れの心情 あらたうと青葉若葉の日の光   ああ尊いなあ、ここ日光では青葉若葉が日の光に輝いている。日光山東照宮への挨拶句 剃捨て黒髪山に衣更   (曾良)   黒髪山は歌枕。日光連山の主峰男体山(なんたいさん)の別称 暫時は瀧に籠るや夏の初   裏見(うらみ)の滝(歌枕)拝観。しばらく、夏(げ)の荒行に挑む修行僧の感慨にふける かさねとは八重撫子の名成べし (曾良)   かさねという優雅な名の子登場。物語に色を添(曽良の日記に記載なし) 夏山に足駄を拝む首途哉   役行者(えんのぎょうじや)の足駄を拝し、出立の思いを新たにした 木啄も庵はやぶらず夏木立   芭蕉参禅の師仏頂(ぶっちょう)和尚が修行した草庵を、雲巌寺(うんがんじ)の山中に捜し、見つけた。啄木(きつつき)が突つけば崩れそうな草庵が現存していた。 野を横に馬牽むけよ郭公   しばし野中の 郭公 (ほととぎす)に聞き入っていたが、馬方よ先(黒羽)へ進めてくれ――。当時(江戸時代)はほととぎすを郭公と表記していた。 田一枚植て立去ル柳かな      道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ    西行   西行は柳の陰(かげ)に立ち止まった。対して芭蕉は立ち去る柳と詠み、西行上人と呼応し、偲んだのであろう。 以下、全63句一覧(解説付き)2024年12月『会報 俳句クラシック-冬号』にて配布します。